こんにちは。
焼酎プロデューサーの黒瀬暢子です。
いきなりですが、「ニニギノミコト」って誰だかご存じですか?
この方は「古事記」に登場する神様で、「天照大神」(あまてらすおおみかみ)の孫にあたります。
「ニニギノミコト」は、天上界にいた「天照大神」から、地上におりるように命ぜられます。
それが、「天孫降臨」。天照大神の孫が、天上界から地上に降りたということですね(笑)
この「ニニギノミコト」が降り立った場所の候補地がいくつかあるのですが、そのうちの一つが「黒瀬杜氏集落」がある鹿児島県南さつま市笠沙だといわれています。
今も「ここにニニギノミコトがおりたちました」という碑も存在しています。
ニニギノミコトが地上に降り、恋に落ちたのは「コノハナサクヤヒメ」。絶世の美女だったともいわれています。
この二人が結ばれて、「海幸彦」「山幸彦」たちが生まれています。
この二人は兄弟で争い「山幸彦」が勝つわけですが、「山幸彦」の孫は初代天皇「天武天皇」です。
この「ニニギノミコト」と「コノハナサクヤヒメ」が結ばれたのは「笠沙」だと古事記には記されているので、黒瀬集落と古事記は深い関係があるといえますね。
もっと深い関係といえば、「コノハナサクヤヒメ」は、お酒の神様という側面もあります。
あんな断崖絶壁の上にある「黒瀬集落」になぜ杜氏が誕生したのか、不思議でしょうがありませんでした。
「農業主体の集落で、冬は出稼ぎに行かねばならず、焼酎造りを黒瀬集落の人たちがおぼえた」という話もありますが、私は、黒瀬集落の場所が、コノハナサクヤヒメが守っていた場所ということも大きく関係するのではないかと思っています。
地名を名乗ることが許されている焼酎杜氏は「黒瀬杜氏」と「阿多杜氏」ですが、「コノハナサクヤヒメ」の息子「海幸彦」は阿多族つまり「阿多杜氏」の里の祖だといわれています。
鹿児島にはたくさんの集落があるわけで、なぜ黒瀬杜氏と阿多杜氏が発展したのか。。。
私は、「古事記」と密接にかかわっているような気がします。
焼酎のことを事業にするようになって、ご先祖様に守られているなと思うような
出来事がたくさんあります。
ですので、焼酎、黒瀬杜氏文化を通して、日本のなりたち、日本の歴史についても伝えていきたいと思っています。
これも私の使命と思っています。
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