焼酎プロデューサー 黒瀬暢子の知って得する焼酎のお話

『八丈島の焼酎の歴史とは⁉️』

焼酎と歴史

今日は、居酒屋さんで八丈島の焼酎「麦焼酎・情け嶋」をいただきました 😊


ガツンと香ばしくそしてのどを通るときに甘みが広がる麦焼酎💛
八丈島で焼酎?と思う方もいらっしゃるかもしれませんので、歴史を紹介させていただきますね 😊


時は1853年、ペリー提督が浦賀に来た年に、鹿児島は阿久根の商人、丹宗庄右ェ門(たんそう しょうえもん)が琉球との密貿易の罪によって八丈島に流罪となりました。
(どうも罪を背負ったようですね。。)
16年の刑だったようです。


当時、八丈島では雑穀を使ったドブロクを飲んでいましたが、庄右ェ門はさつま芋を見て、九州ではこのさつまいもで酒を造っていると言って実家から蒸留器を取寄せます。
そして島民に焼酎造りを教えたのが八丈島での焼酎造りの始まりです。
昭和初期に、芋の確保が難しくなり、麦焼酎造りもはじまったとか。


現在は、八丈島特有の文化である芋麦ブレンド焼酎と麦焼酎を造り始め
麦焼酎、芋麦焼酎、芋焼酎の3種類ある独自の文化を持っています。


罪人としてやってきた丹宗庄右衛門は、この地に新たな産業を生み出した人物として、八丈島では丹宗神社まで建てられているそうですよ!


赦免後、故郷の阿久根に戻り、息を引き取ります。
阿久根にあるお墓に記されている丹宗庄右衛門の辞世の句が
「何事も皆いつわりの世の中に人の誠はこの一つなり」。


この焼酎の名の由来は、「沖からみると鬼のように怖いと思った八丈島も情けの島」という意味だそうです🍀

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