焼酎プロデューサー 黒瀬暢子の知って得する焼酎のお話

黒瀬杜氏とは~

黒瀬杜氏ものがたり

私は、明治時代、焼酎造りにイノベーションを起こし、日本中に焼酎つくりを教えてまわった黒瀬杜氏(くろせとうじ)の末裔です。

「黒瀬杜氏っていう蔵?」とよく質問を受けますが、、、

違います(笑)

お酒の造り手は、「蔵人」といい、「杜氏」は、蔵子の統括者であり、お酒造りの最高責任者です。

すべてのお酒造りの作業計画を立て、実行に移す製造責任者。

それとは別に、お酒造りは、チーム作業なので、チームの人員の適正を考え、人員配置をしたり、トラブル対処にあたる人事部長でもあったり、醪の発酵管理をしたり、時には、税務署に提出する書類作成をしたり、「杜氏」は、お酒づくりの総合プロデューサーといったところでしょうか。

「杜氏」というポジションにいきなりなれるわけではなく、「蔵子」としてお酒作りをまなび、経験を積み、「杜氏」になっていきます。

全国には、杜氏集団(杜氏が集中的に集まっている地域)というものがいくつも存在し、

日本酒では、岩手県「南部杜氏」新潟県「越後杜氏」兵庫県「但馬杜氏」石川県「能登杜氏」が日本四大杜氏といわれています。

そして、焼酎では、鹿児島県「黒瀬杜氏」「阿多杜氏」が、日本焼酎二大杜氏といわれています。

「黒瀬」は、鹿児島県南さつま市笠沙にあり、海に囲まれ、断崖絶壁にある集落で、鹿児島の日本海側とでもいいましょうか。

明治時代、黒瀬集落から3人の男性が、琉球に渡り、焼酎造りを会得。

黒瀬集落に戻った3人がきっかけとなり、黒瀬集落で焼酎造りを取得するものがふえていきます。 

明治時代、日本酒の麹「黄麹」をつかった焼酎造りをしていましたが、南九州では、その手法だと焼酎が腐ってしまうという問題に直面します。そこで登場したのが泡盛造りでつかわれていた「黒麹」。黒瀬杜氏は、この「黒麹」をつかった腐りづらい焼酎造りを開発し、日本中にこの焼酎造りを教えに飛んで回りました。

(当時は、黒麹は、「汚いもの、吸い込んだら病気になる」と言われていました。(のちに無害であることが判明)

ですが、黒瀬杜氏は、果敢に黒麹を使った焼酎造りに取り組み、腐りづらい焼酎を開発しました。焼酎造りにイノベーションを起こしたといえます。

最盛期300人いたという黒瀬杜氏も現在は、10人程度といわれていますが、今でも日本の焼酎造りに影響を与えています。

私は、黒瀬杜氏の末裔として、日本の焼酎文化を後世に伝えたい。

この文化を時には真面目に時には楽しく伝えていきます!

       左から。親戚の黒瀬東洋海杜氏、黒瀬一海杜氏。伝説の杜氏です。

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