焼酎プロデューサー 黒瀬暢子の知って得する焼酎のお話

【蔦屋重三郎は、焼酎を飲んでいたのか?①】

焼酎と歴史

明日1月5日から大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」が始まりますね。

親なし、金なし、画才なし・・・ないない尽くしの生まれから“江戸のメディア王”として時代の寵児になった蔦屋重三郎。その生涯を、笑いと涙と謎に満ちた物語として描く大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。(NHK Webサイトより引用)

明日の放送を、とても楽しみにしています!

Wipipediaによると、主人公「蔦屋重三郎」は、

1750年2月13日にうまれ、

1797年5月31日に没したとあります。

この時代に、焼酎は江戸で、飲まれていたのでしょうか?

「米から造るオラーカがある」

1546年から半年の間、鹿児島に滞在したポルトガルの貿易商人ジョルジュ・アルバレス。

当時の人々の生活の様子を事細かに書き留め、1547年に『日本報告』という書簡にこう記しました。

オラーカは、蒸留酒のことなので、

この時代には、「米から造った蒸留酒=米焼酎があった」ということが分かります。

(西日本新聞Webメディア「YAKUSAKE」さんのコラムで、黒瀬もこのことについて書かせて頂いております。よかったらぜひ、読んでみてください☺

https://www.nishinippon.co.jp/yak…/2022/08/01/kurose-quiz/)

さつま芋が、琉球から薩摩に渡ったのが1705年なので、このころは、まだ芋焼酎は誕生してないのです。沖縄(琉球)では、1460年には、泡盛は、この時にはまだ開発されてませんが、

蒸留酒は造られていました。)

江戸時代、すでに、焼酎は、日本で造られていたということが分かりますが、蔦屋重三郎さんが生きた時代、江戸で焼酎は、飲まれていたのでしょうか?

​『徳川実紀』(19世紀前半に編纂された徳川幕府の公式史書)によると、

1612年(慶長17年)12月26日の条、1614年(慶長19年)7月19日の条にそれぞれ、

島津家久が琉球酒二壺を献じたとの記録があるそうです。

その後、薩摩藩下で製造した焼酎も徳川幕府に献上されるようになり、

高級酒として、徳川幕府の武家達が嗜んでいました。

その後、庶民も、焼酎を嗜むようになっていくのですが、、、

続きはまた明日!

写真は、蔦屋重三郎さんが、生まれ育った吉原(現在の東京都台東区千束)にある吉原神社。

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