焼酎プロデューサー 黒瀬暢子の知って得する焼酎のお話

【焼酎誕生HISTORY①~芋焼酎はこうして生まれた】 ~日本の未来のために奔走した名君からのプレセント🎁

焼酎と歴史


みなさん。芋焼酎はどうやって誕生したのかご存じですか⁉️


鹿児島にさつまいもを広めた前田利右エ門が作った⁉️
いえいえ、彼は、江戸時代に琉球から薩摩にサツマイモを持ち込んだ人物。


では、青木昆陽⁉️
いえいえ、彼は江戸時代、8代将軍徳川吉宗の命を受け、庶民のためにサツマイモの栽培方法やレシピなどをまとめた「甘藷之記」という書物を著し、その普及に尽力しました。


では、だれが⁉️
答えは、島津藩第11代藩主「島津斉彬公」です。


幕末の時代にいち早くヨーロッパ列強のアジア進出に危機感を抱いて斉彬公は、ヨーロッパ列強に対抗するために、軍備の近代化を図ります。
西欧に対抗するために必要なのは軍備の近代化です。それまで日本で使われていたのは火縄銃。当時はまだ軍艦もありませんでした。


そこで斉彬公は、製鉄など機械工業の操業を始め雨天でも発泡できる雷汞(らいこう)という砲弾や軍艦を製造できるようにしました。(これが日本最初の洋式産業群『集成館事業』です。)
斉彬公は、火縄銃ではなく衝撃で爆発する装置を用いた雷管銃(らいかんじゅう)を取り入れ、銃の製造も推し進めました。
この銃の点火装置を作る為にエチルアルコールが必要だったのですが、当初はこの原料に米焼酎を利用していました🍀


米を使うと庶民が食べる分が不足してしまう。。と困っていた斉彬公は、「ならば、安価な穀物であるサツマイモを使ってアルコールを大量生産しよう!」とひらめきます💡


そして、このころには薩摩藩全土で栽培されていたサツマイモを使って焼酎を作らせました🍠
さらに飲料用としても利用できる様に芋焼酎の製造法の改善を斉彬公が指示したことにより、薩摩(鹿児島)で庶民が楽しめる芋焼酎造りが広まっていったようです✨


斉彬公がいなければ芋焼酎は誕生していなかったかも⁉️
政治とお酒の誕生は密接につながっているなと思うことが多いので、また別の機会にいろいろな焼酎の誕生ヒストリーについて書いていきたいと思います。

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