こんばんは。
焼酎プロデューサーの黒瀬暢子(くろせのぶこ)です。
私は、明治時代に、焼酎づくりにイノベーションをおこし、日本中に焼酎作りを教えて回った黒瀬杜氏(くろせとうじ)の末裔です。(杜氏(とうじ)というのは、お酒を造る最高責任者です。)
黒瀬杜氏というのは、杜氏(とうじ)の苗字が「黒瀬」だから「黒瀬杜氏」ではなく、
鹿児島県南さつま市笠沙に黒瀬集落という場所があり、ここの出身の杜氏(とうじ)のことを、「黒瀬杜氏」といいます。
「古事記」について
黒瀬杜氏を輩出した黒瀬集落は、実は、「古事記」と深くかかわっています。
(「古事記」とは、一般に現存する日本最古の歴史書です。世界の始まりから、神様の出現、天皇の誕生、皇位の継承まで日本のなりたちが、描かれた書物です。)
天上界(天上界とは地上ではなく天にある世界。天照大神や瓊瓊杵尊がいた世界)から地上(古事記では、地上のことを「葦原の中の国」と表現)に降り立ち、そこを統治する人をだれにするかと天照大神(アマテラスオオミカミ)は、考えられ、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に託します。
その瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、降り立ったのが、黒瀬集落の地(黒瀬海岸、笠沙宮)といわれており、ここには瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)にまつわる場所が多くのこっています。
「古事記」と黒瀬ゆかりの場所
「黒瀬海岸」神渡海岸とも呼ばれ、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に渡ってきたときにとおった海岸といわれています。
「打寄瀬」:瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、初めて上陸された場所といわれています。
「立瀬」:瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が巡行の際、ここから付近を眺められたといわれています。
「舞瀬」初めて地上に上陸されたとき、喜びの舞をされた場所といわれています。
そして、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が上陸した際に、住居に適当な岩屋をみつけ、そこを皇居としてすんだといわれる跡地も黒瀬集落にあります。
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、その後、もともと、この地にすんでいた豪族の娘、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)と恋に落ちますが、この木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)は、お酒の神様でもありました。
いろいろな酒造りの場所が日本中にあったにもかかわらず、黒瀬杜氏の発展したのは、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)や木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)のご加護があったのではないかと私は信じています。
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